GAAP化を目指す非財務報告基準


上智大学 名誉教授
上妻 義直

1.IFRS財団の決断

 コロナ渦で揺れた2020年は非財務報告の分野でも大きなニュースが相次いだ。とりわけ注目すべきは、2020年9月末にIFRS財団が、国際財務報告基準(IFRS)の設定主体であるIASBに併置する形で、非財務報告基準の設定主体となるサステナビリティ基準審議会(SSB)の設置を公開諮問したことである。この構想が実現すれば、IFRS財団は財務報告の主要な構成要素である財務諸表とESG情報の作成・開示基準を一元的に管理下に置くことになり、設定する会計基準(IFRS)と非財務報告基準の連携を容易にして、信頼性のある高品質な財務報告の包括的な作成・開示枠組みを提供することが可能になる。

 また、このことは、多くの国でIFRSが国内基準化されてGAAP(Generally Accepted Accounting Principles:一般に公正妥当と認められる会計原則)化しているのと同様に、組織的に同等の位置付けとなるSSBの非財務報告基準にもGAAP化への道が開かれていることを意味しており、権威のある単一セットの国際的な非財務報告基準として、GRIスタンダードやSASB基準とは異なるステイタスが付与される可能性が高い。ちなみに、2018年4月25日現在で、IFRSを上場企業等に強制適用する国は144カ国あり1、これらの国ではSSBの非財務報告基準を国内基準化しやすい環境にある。

 GAAP化できるような権威ある単一セットの国際的な非財務報告基準が必要な理由は、世界中で600超2も存在するという非財務報告基準の乱立が、企業が開示するESG情報に一貫性や比較可能性を欠如させて、機関投資家の長期的視点による企業評価を困難にしているからである。パリ協定やSDGsを契機とする持続可能な社会への本格的な移行で、今後長期間にわたる社会経済システムの大変革が予想される中、年金基金等の機関投資家が投資先企業の長期的な成長性を的確に判断するためには、信頼性と比較可能性に優れたESG情報が不可欠である。また、それを可能にする一元的な非財務報告基準の設定体制は早急に確立されなければならない。

 公開諮問の意見募集期間である2020年12月末までに、金融安定理事会(FSB)、機関投資家団体、金融・証券監督当局、会計士団体等からSSBの設立に関する賛意や支持が表明されており、現在のところIFRS財団の決断は実現しそうな気配にある。


2.既存設定主体との関係

 SSBの設立が非財務報告基準の乱立状況を解消する手段であるなら、現存の他の非財務報告基準は淘汰されて、最終的にSSBの非財務報告基準だけが生き残ることになる。そうでなければ、SSBは基準の乱立をさらに悪化させる要因にしかならないからである。

 その場合、基準乱立の象徴として「アルファベットのスープ」と揶揄されているCDP、GRI、SASB、IIRCの報告基準や開示枠組み、また、TCFD勧告はどうなるのだろうか。

 SSBは、課題の緊急性を考慮して、最初は気候関連リスクに注力すると明言している3。この場合、SSBはTCFD勧告を前提とした基準設定に向かうと考えられる。IFRS財団の諮問文書でIASBがFSBメンバーとしてTCFDに関与した事実が強調されていること4、また、既存設定主体がTCFD勧告をそのまま受け入れていることが、その理由である。ただし、気候関連リスクに関しては、IASBでも財務諸表問題として認識する傾向が強くなっており5,6、さらには、TCFD勧告のうち、指標・目標以外のガバナンス、リスクマネジメント、戦略情報はIFRSの実務ステートメントである "Management Commentary" の守備範囲であることから、IASBとSSBで適切に基準を棲み分ける必要性が生じるだろう。

 問題はCDP、GRI、SASB、CDSB等の既存設定主体である。とくにGRIスタンダードとSASB基準はSSBの非財務報告基準とコンセプトや市場ポジションが被る。

 IFRS財団は、SSBが既存設定主体の成果・知見を踏まえることは重要であるとしつつも、サステナビリティ報告の業務にさらに深く関与すべき需要があるならば、自らのやり方で取り組む7としており、既存設定主体と永続的に協調するようには見えない。SSBの設立趣旨が基準乱立の解消にあるのだから当然といえば当然である。IFRS財団にとって、既存設定主体は当面SSBに技術的な知見を提供する存在8であって、今後の組織強化で不足する人材を確保するための合併対象ぐらいでしかない節がある9


3.既存設定主体の生き残り戦略

 こうした事態に既存設定主体が危機感を持つのは当然だろう。IFRS財団の諮問文書に前後して、主要な既存設定主体は活動を活発化させている。たとえば、2020年7月にGRIとSASBが連携プランを発表したかと思えば、2ヶ月後にはCDP、CDSB、GRI、IIRC、SASBの5組織で共同声明文書10を公表して、各組織の基準・枠組みが「包括的企業報告」なる新たな財務報告枠組みの確立に向けて相互補完的な役割を果たすことを強調した。

 また、この5組織は、IFRS財団が諮問文書を公表した当日に、20年前に当時の国際会計基準を承認して世界的なIFRS体制の確立を主導した証券監督者国際機構(IOSCO)に公開依頼状(open letter)を発し、共同声明文書に示した「包括的企業報告」構想への協働を呼びかけた。次いで、2020年11月には、IIRCとSASBが合併して "Value Reporting" 財団を創設する旨の衝撃的な発表があった。さらには、諮問文書の意見募集期間が終了間近な同年12月21日に、先の5組織が「プロトタイプの気候関連財務情報開示基準11」を公表し、SSBが最初に取り組むはずの気候関連リスクの非財務報告基準を牽制した。

 これらの相次ぐ迅速な対応は、IFRS・SSB体制によって空洞化が懸念される既存設定主体の報告基準・開示枠組みを強化し、それらをデ・ファクト化しようとする試みであることは明白であり、彼らの強烈な生き残り戦略であるように見える。

 しかし、SSB設立当初は両者の共存も可能だろうが、SSBの設立趣旨から考えれば、非財務報告基準の設定主体はいずれどこかに一本化されなければならない。その際に5組織が合同でSSBに取って代わるには、IFRS財団がSSB設立した意義は著しく重い。


4.日本企業への影響

 IFRSが任意適用である日本にもSSB設立の影響は及ぶ。SSB基準の適用対象は財務報告であるが、グローバルにはESG情報の開示媒体は財務報告が主流である。その報告実務がSSB基準に収斂すれば、たとえ任意のCSRレポートや統合報告書であっても、日本企業がそれと異なる基準でESG情報を開示することは事実上困難になるだろう。情報開示面で投資家の評価が下がり、ビジネス上の国際競争力も落ちてしまうからである。

 また、2021年4月にはIASBが改定版 "Management Commentary" の公開草案を公表する予定であり、そこには、ビジネスモデルも含めて、ESG情報関連の開示事項が大幅に増加する見込みである。さらには、財務諸表や監査実務における気候関連リスクの取り扱いが急速にグローバル課題化しており、会計情報とESG情報の関連付けは不可避になっている。こうした状況下では、気候関連リスク等の情報開示に際して、日本企業もIFRS・SSB体制の影響を否応なしに受けるだろう。

 現在のところ、非財務報告指令の改定に際して、EUが地域的な非財務報告基準の設定意思を公言しており、非財務報告基準のグローバルな覇権争いに参戦する兆しを見せている。その影響は欧州企業のサプライチェーンを通じて日本の中小企業にも影響を与えかねない。2021年はESG情報の報告基準をめぐる業界の動向から目が離せなくなっている。



※注釈
1: IFRS website(https://www.ifrs.org/use-around-the-world/use-of-ifrs-standards-by-jurisdiction/#analysis)による。 
2: Van der Lugt, C. T., P. P. van de Wijs, & D. Petrovics. (2020), Carrots & Sticks. 
3: IFRS Foundation (2020a), Consultation Paper on Sustainability Reporting, Part 5. 
4: Ibid., para 33. 
5: IFRS Foundation (2020b), Effects of climate-related matters on financial statements. 
6: Nick Anderson (2020), IFRS® Standards and climate-related disclosures.
7: IFRS Foundation (2020a), op.cit., para 35. 
8: Ibid., para 35. 
9: Ibid., para 36. 
10: CDP, CDSB, GRI, IIRC, SASB (2020a), Statement of Intent to Work Together Towards Comprehensive Corporate Reporting. 
11: CDP, CDSB, GRI, IIRC, SASB (2020b), Reporting on enterprise value: Illustrated with a prototype climate-related financial disclosure standard. 


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